私たちは毎日多くの人と接しています。そのなかでは当然のことながらコミュニーケーションをしていきます。
一方、近年の新卒の就職活動において、企業が求める能力の一つに”コミュニーケーション能力”がよく挙げられます。
私はこの点に違和感を感じました。普段社会生活を営む人なら誰しもが備えているはずのコミュニーケーション能力を、企業が求めるのはどういうことなのでしょうか?
その理由の一つには、若者世代においてコミュニーケーション能力が不足していると、企業や社会が感じているからだと思います。
実際に齋藤孝さんの『読書の全技術』のなかで、インターネットやスマートフォンの普及に伴う日本人のコミュニーケーション不足、またそれに対して読書のコミュニーケーションへの有効性について述べられています。
もちろん、それらは非常に便利なツールですが、私は、その結果、多くの人がコミュニケーション過多に陥り、人間性が薄くなっているのではないかと心配しています。もちろん、人間が社会生活を営むうえでコミュニケーションは欠かせないものです。 デジタル時代なりのコミュニケーションの形があることも、私は否定しません。しかし、常にコミュニケーションしている状態が持続していることによって、現代人は自分自身に向き合ったり、自分自身を掘り下げたりする作業が疎かになっているのではないかと、私は危惧しているのです。自分と同じようなレベルの人とのやりとりは、水平的コミュニケーションと言えます。ネットを介してのコミュニケーションは、ほとんどがこの水平的コミュニケーションです。そして水平的コミュニケーションの中で交わされる会話は、平坦なものになりがちです。そのため、なかなか自分の人間性を深めることができません。いわゆるおしゃべりのレベルに留まってしまい、奥行きがないのです。それに対し、読書は垂直次元の思考を深める作業です。それは水平的コミュニケーションとはまったく異質の作業だと言えるでしょう。読書によって得た情報や思考を、咀嚼し、自分の中で再構築していくのです。その作業が、個々人の人間性に深み(奥行き)を培っていくことになります。
コミュニーケーションとはすなわち、自身の人間性によって形成されていくものなのです。その人間性の奥深さは、インターネットやスマートフォンによっては培われにくいものです。読書によって深めていくことができるのです。