読書会のメリット①:アウトプットをする機会となる

読書会におけるメリットの最たるもの、それは強制的なアウトプットの場になるという点です。なぜアウトプットすることが良いのか、それは本を読んで得た知見を身にするためです。

齋藤孝さんの”読書のチカラ”の中で、人に読んだ内容を説明することを目的に読書することが、読んだ内容を自身の物にする近道だと述べられています。

一言で「読む」といっても、そこにはいくつかの基準がある。ざっと目を通しただけで「読んだ」とすることもあれば、一言一句記憶するほど読み耽ることもある。問題は、そこから何をどれだけ吸収したかだ。
その一つのバロメーターになるのが、「その内容を人に説明できるか」である。
最近読んだ本でぜひ試していただきたいが、これがなかなか難しい。一生懸命読んだつもりでも、うまく説明できないことはよくある。記憶が飛んでいたり、そもそも説明能力が不足していたりするからだ。残念ながら、これでは「読んだ」とは認定できない。
中身は頭の中に沈殿しているだけかもしれないが、何かの拍子にそこから取り出すことができなければ、読まずに書棚の奥底にしまい込むこととさして変わらない。これでは、読んだ時間と労力がもったいない。ならばむしろ、最初から一~二分でアウトプットすることを前提として読みはじめたほうがいいだろう。
ここから分かるように、読んだ本の内容を人に説明するのは以外と難しいことなのです。それが短い時間であれば尚のことです。

本来読書というものは、独りよがりになるものです。それはつまり大抵の場合が人に本の内容を話すことなく、本を読み終えた瞬間に読書が終了するからです。しかしこれでは本当の意味での身になる読書には一歩及ばないのです。

読書会に参加すれば、否が応でも本の内容を人に話さないといけなくなります。そして人に紹介する前提で本を読むことで、本の中でどの部分が重要なのかがより鮮明に見えてくる可能性が上がります。

また、樺沢紫苑さんの”読んだら忘れない読書術”にも同様の考えが述べられています。

私が考える「本を読んだ」の定義は、「内容を説明できること」、そして「内容について議論できること」です。感想や自分の意見を述べられなければ、本を読んでいる意味がないのです。
本の内容を説明するだけが目的であれば、アマゾンのレビューやSNS、あるいはブログなどで発信すれば良いと思います。しかしそれらは基本的に一方的な情報の発信で終わってしまうのです。

一方それらに対する読書会の優位性は、本の内容について議論できるという点なのです。紹介や説明に対して議論が行われるからものこそ、読書で得た内容がより強固なものになるのです。